
名残りでやっていたSDコミックワールドの仕事も2年で途絶えた…秋田に戻ってからの僕の年収は家業と原稿料合わせて百万もあればいい方だった。相変わらず、家業は開店休業状態で職探しも儘ならず、細々と貯金で食いつなぐ日々が5年続く…お先真っ暗。

しかし、人生は何処でどう変わるか分からない…`01英国情報誌「Time Out」の記者が日本の取材に来て、偶然手にした本があった…帰国し、その漫画のワンカット、一コマを日本の仲介人で声優、ナレーションのマリリン山田さんに託した…作者は誰か?各出版社を回りマガジンハウス「リラックス」で僕が描いた『プラモ金太郎』の一コマである事が判明した。
秋田(僕)→東京(仲介人)→ロンドン(Time Out)で、やり取りしてTime Outの表紙と「JAPAN SPECIAL」のイラスト8点を担当した…この出来事は、瀕死状態の僕に希望を持たせてくれた。これまでの僕の人生の中で、最も誇りに思っている仕事だ。
…当時、`06年開催の秋田国体に合わせ、実家の作業場がバイパスに掛る事もあり家族会議で廃業を決断。僕は、息子の高校卒業に合わせ埼玉に再び戻る事を選択した…。