
これは僕がある雑誌のインタビューでも答えているいる事だが『プラモ狂四郎』連載当時、先発のコロコロコミックは学年誌で実績のある児童漫画家たちで「友情、努力、勝利…そして笑い」なんてどこかで聞いた事のあるようなスローガンを掲げ熱くなっていたのに対し、後発コミックボンボンは少年マガジン系の有名漫画家で構成され児童誌としては何処か冷めた感じがした…唯一学年誌出身の僕が「友情、努力、勝利…そしてガンプラ!」たった一人スローガンを掲げ『プラモ狂四郎』に盛り込んだ(笑)…僕はガンダムファンの熱狂さを知らなかったから平気でモノアイに目玉を入れたり、怒れば頭にバッテン印も入れたガンプラ黎明期とは言え「児童漫画とはこんなもんだーっ!」てくらい熱く自由に描いた。案の上ボンボンの特集ページを担当するモデラーさんや編集部まで反応が悪かった…前回も書いたように年末進行で時間が無い…そのまま掲載するしかなかった…「僕は降板もありうると確信した。」…ところが年が明けてコミックボンボン'82年2月号が発売されると事態は一転いきなりトップ、読者アンケートの7、8割が『プラモ狂四郎』で占めていた。僕は読者に救われた…低年齢層にガンプラブームの兆し…『プラモ狂四郎』単行本発売日の当日から重版の連続…やがて第1次ガンプラブームが加熱する。
そして『プラモ狂四郎』の人気が上がるにつれページもドンドン増え40、50、60ついには二本立てになった…安井氏から上がってくる原稿は400詰で7、8枚…通常32ページでも足りないくらいの枚数だったがストーリー構成が苦にならなかったのは安井氏のプラモシミュレーション(仮想空間)と言うガンダムの世界感にとらわれない自由な発想と四郎をはじめ健やキー坊、みどりちゃん、山根等のキャラが魅力的だった…。
そんな安井尚志氏の才能に支えられ『プラモ狂四郎』以降も『ホビーボーイ飛人くん』(テレビマガジン)『新プラモ狂四郎』『超戦士ガンダム野郎』『SD武者ガンダム風雲録』等…約12年間、コミックボンボンでコンビを組む事になる…。