
青斬抜刀隊血風録の原稿が還ってきました…やれやれです。
もう、これでボンボン無き後、児童漫画誌の無い講談社と関わる回数も減るだろうな…ここからが、ボンボン作家達の本当の力が試される正念場だ…3年後、5年後…10年後、僕も含めて何人の漫画家の名前を目にするだろうか…?
僕は「プラモ狂四郎」が当って以来、居心地の良い場所を確保して、約12、3年間、ボンボンでお世話になり、まるで講談社の社員のように高額な原稿料を貰い、ボーナスのように定期的に単行本で印税も得た。なんの不満がありよう…絵に描いた生活。僕の性格というか、血液型ABのせいか、破滅型タイプ…一度積み上げたら壊してしまうらしい~汗。
ある日、ふと気が付いた…所詮ガンダム無しでは自分の作品が語れれない事…僕の実力では無い事に。
40間近だった…これから青年誌に転換するには遅すぎた…ここまで、ぬるま湯の生活をしてきて1から出直すには荷が重すぎる。葛藤すればするほど絵が荒れて行く…ボンボンを離れた後、少年王(光文社)とファミマガ(アスキー)で連載をやらせて頂いたが結果最悪…狂四郎のように、期待に応える事は出来ずすべて1回か3回で打ち切り(この作品は苦い経験なのでカテゴリーにも載せていない。)悩んだ末に廃業を決意!!身を隠すように秋田に移り住んだ。
…この7年隠遁生活の中で、僕が漫画家だった(過去形)と知ってても、パーフェクトガンダム、武者ガンダムなど生み出した奴なんて誰も知らない…例え、同級生でも児童漫画なんかに興味がないから聞きもしなかった…飲み会なんかあると、冷やかしで聞く人はいたけど僕も笑って誤魔化して喋らなかった。まして、親や従兄弟は一家で都落ちしたのだから気遣ってそれには触れない。良いんだか悪いんだか…心の隅で漫画家のプライドを捨て切れずにいるから家業について行けず、ガンダムに縋る現実。
そして、G20の時、各社から取材が入りはじめて「プラモ狂四郎」の功績に気が付いて自信が持てた…。