
Sort by 09 2008
電撃ホビーマガジン

`79、テレビ朝日で「機動戦士ガンダム」放映中、唯一、リアルタイムでコミカライズを手掛けていたのが岡田義弘こと岡崎優氏だった…。
何を隠そう、この岡崎優氏は僕のダイナミックプロの二個上の先輩である(汗)。
僕が入社した時、岡崎氏は永井先生のその他大勢や裸の女の子専門に受け持って描いていた…それだけ少女漫画タッチで華麗な絵を描いていたのだが、本人はいつもニヤニヤしてるとういか、ヘラヘラしていて真面目な顔は見た事がない…そんなヘロヘロな彼は間もなくダイナミックの特典で週刊少年キング(少年画報社)で四週連載という幸運なデビューを果たし独立したと思う(多分)。
なんの巡り合わせか、岡崎氏とは月刊少年チャンピオンでスター物を交代で二年程連載したり、彼が冒険王(秋田書店)で、件の『機動戦士ガンダム』を連載していた一時期、僕もここで『キャンバス小僧』というギャグ漫画を連載していて、熱血アムロの勘違い、セイラの緊縛責めありと、お下劣な岡崎版ガンダムをオボロげに記憶している。そんなつまらないロボット漫画と思っていた…劇場版の試写会を観るまでは…(恥)。旧サンライズも、よくこんな本作の内容と掛離れた作品を野放しにしていたものだ…四方やガンダムが社会現象なるとは思ってもいなかったのだろうか。
…後に僕がボンボンから「至急、ガンダムを描いて持って来てほしい…」と「仮題・プラモ大作戦」の依頼を受けた時、TV放映も終了していて、見て描いたのが、このお下劣ガンダムだった訳だ。※注)『プラモ狂四郎』の連載が正式決定してからは資料を貰ったので参考にしてません…念のため!!
しかし、後年、現サンライズ側からクレーム(ガンダムブランドの汚点の払拭!!)がきたのか、本人の良心が咎めたのか「ガンダム20周年」の際、再販されたお下劣岡崎ガンダムは全面的に描き直され、幻のコミカライズとなってしまったのだが「G2O」(アスキー)のインタビューの中で「また10年経ったら、再販されるだろうな。へへへ…」と、我が先輩は、来年の「G3O」を心待ちに皮算用をしているのである。
‘04、電撃ホビーマガジン、MG「パーフェクトガンガム」特集でインタビュー~。
モデルグラフィックス

年末(1月号)でわりとメジャーな漫画雑誌が休刊すると聞いた…好調にみえたヤングサンデー休刊発表も驚いたが、昨年の月刊少年ジャンプ、コミックボンボン休刊以来、出版不況情報に敏感になっている。 次は、何処だって…(苦笑)。
この不況で、漫画に限らず小説、文芸、情報誌等、一体、どれくらいの雑誌が休刊、廃刊に追い込まれたのだろうか…出版は広告収入で成り立っているから社会が不況だと広告も減り予算も削られ、原稿料の高い大先生や単行本収入の望めない漫画が打ち切られる…リニューアルしても部数が伸びなきゃ休刊となる。現在、連載を持ってない僕(別ネーム)でさえ、昨年、秋に発売予定だった描き下ろした単行本二冊分が延期、延期でまだ発売の目途が立っていない…出版社で二の足を踏んでいるらしいのだ。他の作家数人との共作だが原稿料も未払いで最悪の事態も考えられる(汗)。
大体、僕がガキの時分は少年週刊誌は30~4、50万程度の部数が普通だった…`67少年マガジンが怪獣図解や巨人の星で100万部達成した時、驚異的な部数に思えたが、以来120万、150万、200万と右肩上がりで上昇、`89ついに少年ジャンプが500万部突破した時、業界は部数に対して完全に麻痺してしまったのかも知れない。(少なからず、僕もこのバブル期に恩恵を受けた訳だが…汗)昨今、100万部が当たり前で、月刊でも30万を切ると休刊が囁かれるご時世…少子化が加速する中で、少年誌と謳いながらも、それまでの読者であった大学生や社会人の購買力に頼るところが大きかった訳で、携帯やパソコン環境の変化ばかりとは思わないけど…肝心の少年達の部数なんてこんなものだと思う。
まあ、世の中、何処も不況だからしょうがない…いい時も悪い時もあるって事だ。
希望を持たなきゃやってられない。
‘07、モデルブラフィックス、ガンダム著名人達とアンケートに答えてます。
グッズプレス

『プラモ狂四郎』連載当初から『超戦士ガンダム野郎』まで定期的に手伝って貰っていたk氏がいる…いた、かな(汗)。
k氏とは、僕が『狂四郎』の連載が始まり三、四回目辺りから、当時、掛け持ち連載していた朝日小学生新聞に泣きつきアシを紹介してもらった何人かの一人だった…しかし、彼は漫画家志望というよりアニメーター志望で経歴もアニメの大御所的存在の古川タクさんとか鈴木伸一さんの所を渡り歩いた人物で大阪芸大出身だった…。
既にk氏は所帯持ち(奥さんの家に居候状態)で、アニメは一人では時間が掛るうえ、おいそれと銭にならないため、喰う為に僕の所に手伝いに来ていた…腕より屁理屈が立つ…(苦)。僕の所で稼いだ金を生活費に入れるかと思えば、そのまま当時出始めの高価なパソコン部品や本に費やしていた(汗)。
ふだんは、佐賀県人(男臭い唐津気質のイメージ)とは思えぬ腰の低さ、礼儀も正しいのだが、たまに僕が気にかけて飲みに誘うと、徐々に屁理屈に拍車がかかり、いつのまにか僕が説教されて不愉快な思いをするので年賀状だけの付き合いにした(笑)。…その後のK氏は、大成しるでもなく挫折しるでもなく、当時と変わりなく淡々と「自称・アニメーター」として生きているのであるから不思議な人生だ…。
ちなみに、彼の所属していた大阪芸大の漫研の後輩に現在ケロケロエースで『SD三国伝』を執筆している矢野健太郎さんがいると聞いた事がある。
‘07、グッズプレス「ガンプラ伝説」でインタビュー。
狂四郎マニアックス・コラム
三人とも、ボンボン育ちの「プラモ狂四郎」世代だ…三者三様ガンダム関連の仕事についている所が凄い。そして、今、彼等が継承するプラモスピリットが「狂四郎」MSを形にしてくれたと言っても過言でない…当時は、邪道ダンダムと揶揄されがちだった狂四郎MSであるが、今日こうして、堂々日の目を見る事が出来た…ただ作者冥利につきるのみ。
…彼等のような狂四郎ファンと対峙すると、決まってサインを求められる…今回も、同様のケース(汗)。正直、もう狂四郎なんて描けないのだ…テレまんがヒーローズの「プラモ狂四郎U.C」に至って、時の流れに思い知らされた(苦)…いっそう、新しいキャラを立ちあげる方が楽なのだ。しかしながら、テンションが上がってる手前、裏切る訳にもいかず、その場で描けないので家に持ち帰り引き受けてしまう(練習してから描くから…苦笑。)

そんな「狂四郎マニアックス」発売に併せて「ホビージャパン」誌面でプラモ狂四郎コラム(仮)を2,3度書かせて頂く事になった…第1回目は真紅のガンダム・レッドウォーリアです。 乞う、ご期待!
サイゾー

今朝、あまりの寒さで目がさめた…しっかり、秋の気配、外は曇天模様で小雨がパラついている。
風邪気味だ…熱もあるが、午後から「サイゾー」でコミックボンボン元編集長の池田さんとの対談する仕事が入っているので、それまでホビージャパンの「プラモ狂四郎マニアックス」のコラム(コメント)とラフを関係各所に送信。
…雨の中、対談場所の池袋ルノアール会議室に急ぐ…池田さんと再会するのは僕が、秋田で迎えた「ガンダム20周年」のイベント以来で、再び埼玉に引っ越した時、池田さんはすでに講談社を退職した後だったので挨拶にも伺えなかった。この機会を逃すと、もう会えないと気がしたから今回はシブシブ承諾したものの考えてみれば、編集長と一対一で話すのは初めてだ(汗)。
期待と不安で指定場所に付く…案内された部屋から「やあ、やまと君」と白髪まじりの池田さんが声を掛けてくれた…10年振りの再会。現在は、T市で市民活動の役委員等をやっているそうだ。

ライターの大貫さんの進行で「キッズカルチャーとコミックボンボン休刊から今後の少年漫画…」まで及ぶ…(汗)。
対談を終えても、尚も雨は降り続く…池田さんと近くの喫茶店で雑談…やがて、ボンボン休刊の話題になり対談よりディープな内輪話をする(汗)。