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続・やまと屋ブログ堂

★…パーフェクトガンダム、レッドウォーリア、武者ガンダムの起源はここに有り…★

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Category: やまとメモ  

日本一のマンガを探せ!

日本

古い色紙が三枚出てきた…`03とある。

`03は僕が、秋田から戻り漫画家生活を再開させた年である…一つはバンダイホビー部(事業部)とあり、多分、MGパーフェクトガンダムの打ち合わせで浅草のバンダイ(旧)本社に行った時、記念にと頼まれ描き損じたモノ…若い社員二人からは「超戦士ガンダム野郎」の色紙を頼まれ「狂四郎」世代から「SD」世代に変わった事を実感…「ガンダム野郎」は描き慣れてないので、家へ持ち帰り描いて送った…だったかな?(汗)。

色紙

僕の居場所はやっぱり、「ここだ!」と高揚した気分で引き受けた…ホント「プラモ狂四郎」を描いててよかったな…復帰出来て。

そして、残りの二枚も`03東京12チャンネル「TVチャンピオン」プロモデラー選手権で敗者復活戦の審査員として出演依頼されシブシブ出た時のモノ(※過去の記事参照)…あらかじめ、敗者二名の名前を聞いていたのでサイン色紙を持参したのだが、勝者グループも勝負の行方を観戦していたため収録後、サイン攻めにあったため渡しそこねたのだ(汗)。

ちなみに、色紙には「亀井さんへ」と「中村さんへ」とある…確か、中村さんが破れ、亀井さんが決勝進出していったと思う…あの二人のプラモスピリットは今でも熱いだろうか…。


●日本一のマンガを探せ!~「プラモ狂四郎」じゃり漫で取り上げられてます。
Category: やまとメモ  

cut

CUT

コミックボンボン『プラモ狂四郎』絶頂期、御大・松本零士先生の所にいた愛沢ひろしさんが、大泉から、大宮の僕の自宅まで定期的に手伝いに来たくれていた。

僕より、一、二個上だったと思う…確かテレビマガジンで付録の取り説やカット等をこなし、青年誌でも読み切り作品を発表していたベテランだった。

それまで、アシの経験の無い二、三人に手伝って貰っていたのだが、愛沢さんが来てくれてから仕事場が締まった。

ところが、愛沢さんは僕以外に同じボンボンで「装甲機兵ボトムズ」ののなかみのる氏の手伝いも同時にやっていたため、どっちのスケジュールを優先するかで掛け引きが行われたモノだ(笑)。

なにしろ、のなか氏の所に、一度入るといつ帰れるか分からないというので、僕の方を先に手伝ってもらう事になった…それに合わすため、先送りで進行しなけらばならなかった。

先生がアシの都合に合わせるなんて前代未聞(笑)。
これが、僕がボンボンで原稿の上がりの早い理由で、のなか氏が一番遅い理由でもあった…(笑)。

ダイナミックでアシの経験が浅かった僕も、彼から教わる事が多かったし、資料用のガンプラも、随分と彼に組み立ててもらった…多分、関ヶ原ウォーズ辺りまで来て貰ったと思う。

あの頃は、入れ替わり立ち替わりいろんな人達が『プラモ狂四郎』から『超戦士ガンダム野郎』そして『SD武者ガンダム風雲録』まで手伝に来てくれた…後から「行きましたよ。」と、言われ名前を覚えておらず慌てる事もある…。

●‘09,cutで、ガンダム芸人さん達が「プラモ狂四郎」談をしています~♪
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