
コミックボンボン『プラモ狂四郎』絶頂期、御大・松本零士先生の所にいた愛沢ひろしさんが、大泉から、大宮の僕の自宅まで定期的に手伝いに来たくれていた。
僕より、一、二個上だったと思う…確かテレビマガジンで付録の取り説やカット等をこなし、青年誌でも読み切り作品を発表していたベテランだった。
それまで、アシの経験の無い二、三人に手伝って貰っていたのだが、愛沢さんが来てくれてから仕事場が締まった。
ところが、愛沢さんは僕以外に同じボンボンで「装甲機兵ボトムズ」ののなかみのる氏の手伝いも同時にやっていたため、どっちのスケジュールを優先するかで掛け引きが行われたモノだ(笑)。
なにしろ、のなか氏の所に、一度入るといつ帰れるか分からないというので、僕の方を先に手伝ってもらう事になった…それに合わすため、先送りで進行しなけらばならなかった。
先生がアシの都合に合わせるなんて前代未聞(笑)。
これが、僕がボンボンで原稿の上がりの早い理由で、のなか氏が一番遅い理由でもあった…(笑)。
ダイナミックでアシの経験が浅かった僕も、彼から教わる事が多かったし、資料用のガンプラも、随分と彼に組み立ててもらった…多分、関ヶ原ウォーズ辺りまで来て貰ったと思う。
あの頃は、入れ替わり立ち替わりいろんな人達が『プラモ狂四郎』から『超戦士ガンダム野郎』そして『SD武者ガンダム風雲録』まで手伝に来てくれた…後から「行きましたよ。」と、言われ名前を覚えておらず慌てる事もある…。
●‘09,cutで、ガンダム芸人さん達が「プラモ狂四郎」談をしています~♪